Rabu, 27 Maret 2019

「芦屋においしいフレンチがある」…貴景勝会見 : スポーツ - 読売新聞

 27日に大阪市内のホテルで行われた大相撲の新大関貴景勝関の記者会見の一問一答は、次の通り。

 ――今、どんな心持ちですか。

 「小さい頃からの夢でもありましたし、一つまた目標が達成できてうれしい気持ちです」

 ――少し待ち時間がありました。壇上では土俵では見せない表情もありましたし、背中を向ける場面もありましたが、どんな気持ちで使者を待っていましたか。

 「また本場所とは違った緊張感もありました。こういう盛大な場所で(伝達式を)させていただいて、口上を述べるのも、失敗しないようにやりました」

 ――場所が終わって、月曜日、火曜日の待っている気持ちと、今朝を迎えて、気持ちの変化というのはあったでしょうか。

 「千秋楽はとにかく体を休める、体に入ったダメージを少し抜きたいという気持ち。少し疲労が抜けるたびに、ちょっとうれしさが増えたような気がします」

 ――そして迎えた口上。ご自身では出来はどうでしたか。

「小さい頃からこの言葉で自分を築き上げてきたと思っている。プロに入ってからもこの言葉で、何度も救われたので、今日、この言葉を言わせていただいた」

――武士道精神という言葉と、感謝、思いやり。大きくこの三つのキーワードに込めた思いを改めて聞かせていただけますか。

 「力士は、武士の、力のもののふと書いて、力士と読みますし。日頃から『勝っておごらず、負けて腐らず』という言葉を意識していますけれども、そういうのは、その武士道の中から習得した言葉でもあります。義理人情ですとか、受けた恩は必ず返すという、そういう男らしい人間でありたいという思いもありまして、この言葉を使いました。そして感謝の気持ちと思いやりというのは、(母校)埼玉栄高校の相撲部の部訓でもあります。ここで人間的に成長できた部分もあります。いろいろな人に支えられてここまで来ましたので、自分一人では来ていないですし、その感謝の気持ちを忘れたらだめだと思います。後輩、先輩方にも思いやりの心を持てる。それも武士道につながっていると思いますけれども、その言葉を言いたくてその二つを用いました」

 ――一夜明け記者会見の時に『口上の内容をもう考えている』ということを言われた。具体的にはいつ頃から、その言葉を使おうと思ったのですか。

 「大関になるまでは絶対に考えないでおこうというのは思いましたが、変に勘違いしないで、なればなった時に考えればいいという考えなので。千秋楽が終わって、そういう(昇進の)話もいただいて。自分を作ってきた言葉というのは、数少ないので、その言葉は、すっと頭に入ってきました」

 ――口上がどうこうというよりも、「力士・貴景勝」を支えてきた言葉だった。

 「はい。これで今まで来られましたので。改めて口にして、これからも上を目指していきたいですし、忘れてはならない言葉だったと思います」

 ――22歳。それから初土俵から28場所。これは大変なスピード昇進ということになるわけですが、このスピードに関してはご自身ではどう思っていますか。

 「あまり意識したことはないんですけれど、やっぱり毎場所、毎場所、出来るだけ早くという目標がありますし、やっぱり上に行きたいという気持ちが毎場所ないと、つながらないと思います。あまりそういう記録とかスピードっていうのは意識したことはないですけれども、毎場所、毎場所、力を出し切れているというのは自信を持って言えます」

 ――横綱、大関は別格だと思っていると、これまで口にされてきて、具体的な大関という番付に対する表現は避けてこられましたが、今、実際に大関になったことで、改めて捉え方に変化はありますか。

 「これから、先輩方の横綱、大関に教わる部分も多いと思いますし、まだ今終わったばかりなのですけれども、これから勉強させていただきたいと思います。引っ張っていけるような存在でもありたいなと今は思っています」

 ――続いて、師匠(千賀ノ浦親方=元小結隆三杉)にうかがいます。師匠は今日、どんなお気持ちで使者を迎えられましたか。

 「(千賀ノ浦部屋と貴乃花部屋が)合併してまだ3場所目だが、(角界に)入った頃から知っていまして、いずれは(大関に)上がるような実力はありました。でもまさかこんなに早く昇進できるとはちょっと思っていなかった。喜びは、すごくありました。本当に、感無量でうれしく思っています」

 ――千秋楽の日は血圧が(高くなった)、という表現もありましたが、またちょっと違う喜びですね。

 「そうですね。会場で(取組を)一番上から見ていたんですけれど、心臓の鼓動ですね。もう心臓が飛び出そうなくらいな緊張感で見ていました。でも、想像以上にいい相撲を取ってくれたので、私も思わずちょっと跳び上がったほど喜びました」

 ――その時と今日とではずいぶん違いますか。心持ちは。

 「貴景勝の口上を、かまないでちゃんと出来るかなと思いながら聞いていたんですけれど、立派な口上が出来て、非常によかったです」

 ――言葉は事前に師匠には。

 「全然聞いていないです。どこか秘密の場所で、一人で口上の練習をしていたみたいです」

 ――実際に選んだ言葉と、そして大関からはその言葉に込めた思いがありましたけれど、それを聞いて改めてどんなことをお感じになりますか。

 「すごく、いい口上ですから。心に決めたものがあるんだなと改めて感じました」

 ――大関ご本人は『一場所でも早く』という言葉で、スピードについては表現をされましたが、師匠は改めてこのスピード、22歳という若さであったり、28場所での大関昇進というのはどんなふうに捉えていますか。

 「これは、本人の努力。本人のこの精神力と肉体を、ずっと鍛えている。それでこのスピードですから。これはもう、本人の努力しかないんですよね。だから非常に立派な力士ということしか今は思っていません」

 ――看板力士が部屋に誕生したことになるわけですが、それについてのお気持ちは。

 「私から見たら全然そういうのは意識しない。いつも通りの貴景勝ですから。いつも私たちの部屋は、関取衆も若い力士もみんな同じ気持ちで、みんな一緒の気持ちで指導しております。特別に大関になったからっていう気持ちは全然ないです」

 ――これからどんな大関になってほしいか。どんな力士になってほしいか。期待についてはいかがですか。

 「基本はやっぱり、力士は稽古ですから。稽古を怠らないように。大関に上がったから満足でここで終わらないように、もっともっと稽古に精進して、肉体的にも精神的にも強くなれるような、そういう力士になってほしいです。とにかく稽古しかないですからね」

 ――改めて貴景勝関にうかがいます。これからは大関として挑まれる立場になるわけですが、心境の変化というのは何か出てくるでしょうか。

 「いや、今まで通り、自分が挑んでいくという気持ちを忘れなければ、関係ないと思っています。なったから自分が受けるという気持ちを持たず、自分で向かっていく気持ちを、まあそういう相撲スタイルでもあるし、そういう気持ちを忘れたら、だめになっちゃうと思います。これからも挑んでいく。まだ上の番付もありますし、何も守る必要はないと今は思っています」

 ――このところの相撲界は世代交代ということが言われている中で、今こうして大関という番付を手にした中で、若手の名実ともに先頭という立場にもなってきます。何か意識していることはありますか。

 「世代交代というのは周りから評価していただくものなので、自分が世代交代するとか言うのはおかしいと思っています。世間の人が判断するものです。とにかく自分は実力、精神力をもっと高めて、そう評価してもらえるように強くなるしかないと思っています」

 ――改めてどんな大関になっていきたいと思っていますか。

 「次の番付を目指します。『どんな大関』じゃなく、もう一つ上がある。上を目指して立ち向かっていきたいと思っています」

 ――今日、ご両親の目の前でこのような舞台を迎えた。ご両親に対する思いを。

 「両親と約束した夢っていうのはまだ、かなっていないですし、まだ途中ですけれど、一つの扉は開いたかなとは思います。これからももっと、相撲道に精進して親孝行したいと思っています」

 ――口上が最終的にこの言葉に落ち着いたのはいつ頃ですか。

 「場所が終わった次の日ぐらいから少し考えて、もうだいたい決まっていました。もう、すっと浮かんできたので。あまり迷いはなかったです」

 ――どなたかに相談はしたか。

 「いや、していないです」

 ――歴代の先輩たちの口上のVTR、映像を参考にしたか。

 「先輩大関全てが意味のある素晴らしい言葉で。自分も自分らしく、自分の思うことを言おうと思いました」

 ――今終わって、ご自身の口上に点数を付けるとしたらどうですか。思った通りにいきましたか。

 「自分が点数を付けるわけじゃない。決意をしっかり言えたとは思っていますけれど、点数っていうのはちょっと難しいです」

 ――ホッとしていますか。

 「そうですね。改めて頑張っていかないといけないなっていう気持ちもありますし、口上が終わって少し実感が湧いてきたっていうのもあります」

 ――大相撲に入って、先代、貴乃花親方と、今の千賀ノ浦親方、2人の師匠に教わった。その2人の師匠への感謝と、これからどんな相撲を見せていきたいかということについて、今どのように思っていますか。

 「千賀ノ浦親方にも、貴乃花親方にも、大変お世話になって、指導していただいてここまで来られました。もちろん感謝の気持ちっていうのは当たり前のようにあります。さっきの武士道精神じゃないですけれど、恩をしっかり返すという意味では、強くなって土俵で示すしかないと思っています。あまり回りくどいやり方はせず、とにかく結果で残したいという気持ちが一番です」

 ――先ほど、ホッとしたというお話が少しありました。大きなプレッシャーから解き放たれたと思います。今、率直に何がしたいですか。

 「おいしいご飯が食べたいです。芦屋においしいフレンチがあるんです」

 ――一夜明けの会見の時に、先代の師匠には大関になってから報告すると仰っていたんですが、どういった言葉で報告されますか。

 「貴乃花親方ですか? まだ連絡はしていなくて、口上がしっかり終わってから、ちゃんと決まってからやろうというのは思っていました。おかげさまで大関に上がれましたっていうことしか自分は言えないです」

 ――貴乃花親方から学んだ、影響を受けた部分というのは、ご自身でどう考えますか。

 「貴乃花部屋に入りましたから、背中を見て育ちました。今は千賀ノ浦部屋になっていますから、あまり……。千賀ノ浦部屋で教わることもかなり多かったです。みんなに支えられてここまで来たということは間違いないです」

 ――大関貴景勝にライバルはいますか。

 「ライバルですか。いや、いないですね、はい。自分との戦いということもありますけど、15日間の総合力の戦いなので、1人に絞るっていうことをすると、じゃあほかの14日間はどうなるんだっていう話なんで。ライバル的存在はいても、ライバルと思わないこと。15日間、力を出し切るスタミナ、精神力。それが一番大事だと思っています」

 ――一つ上の番付を目指すに当たって、これからどういうところを磨いていきたいと思っていますか。

 「もっと長所を伸ばすこと。まわしを取らない相撲なので、もっとそれに磨きをかけてやるしかないとは思っています。押し相撲でも何種類もありますし、ますます視野を広げていって、さらに今持っているものも強くして。そういう思いです」

 ――荒磯親方が引退された今の角界で、自分がやっていくものと、看板力士として担っていくものは。

 「あまりそういう考えをしたことはないですけれど、自分が土俵で力を出し切ることで、何かファンの皆様にも感じてもらえる部分があるとうれしいです。土俵以外で何かをするということをせずに、土俵で。力士ですので、土俵の中で感じてもらえる部分があればいいなっていう思いです。とにかく一生懸命、相撲を、この先も相撲道に精進していかないといけないっていうのは思っています」

 ――口上の中に(母校)埼玉栄高校への感謝の思いも含めたということですが、山田(道紀)監督に向けて今、どんな感謝の思いがありますか。

 「中学を卒業して、くそ生意気だったんですけれど、指導をしていただき、寮生活という集団生活も初めて経験して、礼儀作法だとか上下関係の大事さというものを学びました。けがした時も毎日お弁当を作って病院に来てくれた。そういう人間的な温かさをすごく感じた場所で、こういう(監督のような)人間になりたいなって自分も思ってやってきたので、感謝しています。これから自分もますます頑張っていかないといけないなっていう思いです」

 ――改めて新大関として期待のかかる来場所に向けて、どういった相撲を見せたいのか、意気込みを。

 「2か月で急激に強くなる時もあるし、ならない時もあると思う。そのためには日々の稽古が大事で、毎日毎日やり続けるしかない。稽古して、気持ちで、体が(大きく)ないから気持ちで相撲をとって、どんどん、どんどん向かっていく相撲を取りたいと思っています。15日間、勝つつもりでやることが大事だと思います」

 ――押し相撲で、一般的に横綱まで行くのは難しいと言われることがあるが、そういう押し相撲一本の横綱へのこだわりは。

 「そう言われるのが、自分で頑張れる材料です。元々は十両になれないって言われていました。押し相撲で幕内は無理って言われていました。押し相撲で三役は無理やろって言われていました。大関は無理って言われていました。あまり攻撃のパターンは多くないですけれど、そうやって言われて自分も頑張れます。その中でも信じてくれた人の期待に応えたいっていうのもあります。どうしてもこの体ではまわしを取るっていうのは、厳しいものがあると思う。自分が持っている少ない武器というものをもっと磨く必要があると思う。それしか自分が生き残っていく道はないなって思います」

 ――貴景勝関は体が小さいから関取になるのは難しいとか、押し相撲では出世できないとか、全部覆している。その原動力は。

 「数少なくても信じてくれた人、『いや、頑張れよ』って言ってくれた人の期待に応えたい。少なかったですけれども、『いや、頑張れよ』って言ってくれた人に気持ちで応えたい。自分をサポートしてくれた人、治療とか、もちろん師匠、部屋の兄弟子、弟弟子、みんな、プロの前から、いろいろな人に支えられてここまで来た。自分一人では何も出来なかった。そういう自分のためにやってくれた人の期待に応えたいという気持ちは、自分の一番の頑張れる材料です」

 ――節目となる伝達式を地元に近い大阪で迎えられたということに関しては、巡りあわせのようなものを感じますか。

 「そうです。大阪場所は毎年何か、自分に気づきを与えてくれる場所です。去年はけがしましたけど、今年はいい大阪場所にしたいというのは思っていました。特に関西の皆様に応援していただきまして、場所でもグッズとかタオルを振って応援してくれた方を見て、期待に応えたいなっていう気持ちはありました」

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2019-03-27 10:01:00Z
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