日本だけで、メジャー記録を超える通算27本の代打本塁打を記録し、阪急の黄金時代を支えた高井保弘(たかい・やすひろ)さんが13日午前9時44分、腎不全のため西宮市内の病院で亡くなった。74歳。
高井さんは今治西高から1964年に阪急入り。ウエスタン・リーグでは首位打者、本塁打王などの活躍を見せていたが、1軍には定着できなかった。1971年、チームに復帰したスペンサーから相手投手への観察眼を磨くことを助言され、72年には86試合で15本塁打をマーク。その後は代打の切り札としてアーチを積み重ね、通算27本というメジャーを超える記録を作った。
1974年には南海・野村克也監督の推薦によってオールスター戦に選出。第1戦の9回1死一塁で起用されると、松岡弘(ヤクルト)から史上唯一の代打逆転サヨナラ2ランを放って、MVPに輝いた。
この年、代打で6本塁打を放つ大活躍が、パ・リーグの翌年からの指名打者制導入につながったと言われている。日本シリーズでも1977年の第4戦、9回2死二塁から左前に起死回生の代打同点タイムリーを放って逆転勝利に貢献。この一打がシリーズを左右し、阪急の3年連続日本一につながった。
1977年から3年連続規定打席に到達。78、79年は打率3割をマークした。
1982年限りで現役引退。通算1135試合出場のうち、559試合は代打出場、130本塁打、446打点をマークした。現役引退後は野球解説者や自ら居酒屋も経営。また、マスターズリーグなどにも参加していた。
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2019-12-13 08:54:00Z
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